【wiki】八重野充弘の埋蔵金実績は?大学高校や経歴などを紹介!
八重野充弘さんは、50年間かけて日本に隠された埋蔵金を探しています。
今回は「あるとしたらここしかない!」と断言する群馬に隠された約15億円の徳川埋蔵金を探します。
かつて発掘を断念した場所で12年ぶり、執念の再調査をするそうです。
ワクワクしますね~!
そんな埋蔵金の発掘に人生をかけている八重野充弘さんとはどんな方なのでしょうか。
現在は76歳の八重野さんについて今回は調査してみました!
こちらのページでは
- 八重野充弘さんのwikiプロフィールは?
- 八重野充弘さんの著書は?
- 八重野充弘さんが紹介する日本3大埋蔵金は?
を紹介します!
八重野充弘さんのwikiプロフィールは?
引用 PASONA 転職コラムHP
八重野充弘さんのwikiプロフィールはコチラ
名前 | 八重野充弘(やえのみつひろ) |
生年月日 | 1947年8月24日(2023年現在76歳) |
出身地 | 熊本県熊本市 |
職業 | 日本トレジャーハンティングクラブ代表 著作家 埋蔵金ハンター |
八重野充弘さんがトレジャーハンターになるまで
八重野充弘さんの現在の年齢は76歳(2023年11月現在)です。
八重野さんは地元の国立小学校、中学校に入学し卒業。
くりぃむしちゅーの有田哲平さんやりそなHD会長の細谷英二さんも出身者です。
八重野さんは立教大学の社会学部を卒業しています。
学研に勤める傍ら、1974年より熊本県天草下島で天草四郎の軍用金探しを始めます。
そのことがきっかけで日本の埋蔵金研究の第一人者であった畠山清行氏との交流が始まる。
宝探しを健全なレジャーとして広める目的で設立。
退職後は作家としてライフワークのトレジャーハンティングに関する著述を続けています。
また科学ジャーナリストとして、主に子どもを対象とした講演や実験教室を開催。
最近では地震の成長期に当たる昭和30年代の思い出を題材とした執筆活動も始めています。
八重野充弘さんの著書は?
- 『桃太郎の黄金』(CBSソニー出版、1981年7月)
- 『謎解き・徳川埋蔵金伝説』(二見書房、1992年10月)
- 『秘録・埋蔵金を発見した』(KKベストセラーズ、1993年8月)
- 『日本の埋蔵金100話』(立風書房、1993年9月)
- 『一攫千金! 黄金秘宝伝説』(KKベストセラーズ、1994年11月)
- 『宝探し冒険ブック-日本編』(くもん出版、1996年7月)
- 『宝探し冒険ブック-世界編』(くもん出版、1996年7月)
- 『埋蔵金を掘り当てる!』(ワールドマガジン社、1996年10月)
- 『懐かしの昭和30年代ドリル』(世界文化社、2007年11月)
- 『埋蔵金伝説を歩く-ボクはトレジャーハンター』(角川学芸出版、2007年11月)
- 『埋蔵金発見! 解き明かされた黄金伝説』(新人物往来社、2010年8月)
八重野充弘さんは作家なので多くの本を出版されています。
1977年から畠山清之氏を手伝う形で徳川埋蔵金の調査を始めています。
その後、全国各地に伝わる埋蔵金伝説を独自に調査し、これまでに30か所以上を調査。
実際に発掘した場所は10か所を超えています。
ただ、いまだに発見には至っていないようです。
今回は見つけることができるのでしょうか!?
八重野充弘さんが紹介する日本3大埋蔵金は?
日本各地に埋蔵金の情報はありますが3大埋蔵金はコチラです↓
豊臣秀吉の黄金
場所…兵庫県川辺郡猪名川町多田銀銅山跡
豊臣秀吉が死の床についたとき、後継ぎの秀頼はまだ6歳。政権を託すにはあまりも幼く、せめてもの不安の解消策として、秀吉は勘定奉行の幡野三郎光照に命じて莫大な黄金を埋蔵させたという。
徳川幕府の御用金
場所…群馬県渋川市(旧勢多郡赤城村)ほか
幕末に大老となった井伊直弼の発案により、開国によって日本の金銀が海外へ流出するのを防ぐため、また、いざというときの軍用金にするため、徳川幕府の御用金およそ400万両が、上州(群馬県)方面へ運ばれて埋蔵されたと伝えられる
結城晴朝の黄金
場所…茨城県結城市/栃木県下野市(旧南河内町)ほか
結城家の初代・朝光は、源頼朝が奥州藤原氏を滅ぼしたときに従軍し、手柄を立てて平泉の黄金のほとんどをほうびにもらった。それは代々同家に伝えられてきたが、17代の晴朝のとき、徳川家康に狙われたため、現在の茨城県結城市から栃木県下野市あたりに広がる旧結城領のどこかに埋蔵されたらしい。
まとめ
以上、50年間埋蔵金を追い続ける男「八重野充弘」さんのwikiプロフィールやトレジャーハンターになった経歴、日本の3大埋蔵金について紹介しました。
今回は果たして見つかるのか!?楽しみです!!