小澤征爾のN響事件とは何?世界のオザワになったきっかけの事件!
小澤征爾さんは指揮者として世界のオザワといわれているほど有名な指揮者です。
世界のオザワといわれるきっかけになったのは小澤征爾のN響事件といわれています。
こちらのページでは
- 小澤征爾が指揮者だったN響とは?
- 小澤征爾のN響事件とは?
を紹介します!
小澤征爾が指揮者だったN響とは?
小澤征爾さんが指揮者だったN響とはNHK交響楽団ことを訳したものです。
jwaveモーニングクラシック、来週3月4日からの4日間は、先月お亡くなりになったマエストロ小澤征爾を特集します。世界への扉をこじ開けたその行動力と能力を改めて認識する4日間になりそうだ。放送は月曜から木曜までの朝8時5分くらいから。#ohayomorning pic.twitter.com/fx7ABIfJ4f
— 田中 泰 (@Sputnik_001) March 1, 2024
NHK交響楽団は公益財団法人でNHKからの出向者が歴代理事長をしている有名なオーケストラです。
もともとは1925年3月から前身となる日本交響楽協会の活動から始まっているので長い歴史があります。
このNHK交響楽団で演奏することは1つの目標であり指揮者にとっては非常にすごいことです。
26歳という若さでNHK交響楽団の指揮者のになったことでN響事件に繋がっていきます。
小澤征爾のN響事件とは?
小澤征爾さんのN響事件とはN響の演奏委員会が小澤征爾さんの指揮をボイコットした事件です。
小澤征爾さんのN響事件の概要はこちら
- 1961年7月:小澤征爾とNHK交響楽団と初顔合わせ(関係良好)
- 1962年7月:小澤征爾が指揮者として1年経過(関係良好)
- 1962年11月:第434回定期公演の出来ばえが新聞に酷評(関係に亀裂)
- 1962年11月:N響演奏委員会が「小澤征爾の指揮するものに一切協力しない」と表明(関係悪化)
- その後も小澤征爾とNHK交響楽団と話し合うが折り合いがつかずN響は小澤に内容証明を送付
- 1962年12月:小澤征爾もNHKを契約不履行と名誉毀損で訴えた
- 1963年1月:小澤征爾とNHK交響楽団が和解
世間からは小澤征爾さんが若くして指揮者をしていることをよく思わなかったという理由が多いようですね。
若くしてNHK交響楽団の指揮者になった理由として前妻の江戸京子さんの父が関係していると言われています。
当時の小澤征爾さんの妻は江戸京子さんであり父親は三井不動産社長でありました。
江戸京子さんの父親の政治力があったのではといわれているわけですね。
若い小澤がN響の常任指揮者に抜擢された背景には、江戸英雄の政治力があったとも報じられた。江戸英雄が自民党の有力者を通じてNHKに工作を行い、前田義徳(NHK専務理事、のち会長)を通じ、小澤をN響の指揮者に雇うよう命令したとの説を、毎日新聞記者であった原田三朗は紹介している。
引用元:wikipedia
他にもボイコットした理由として小澤征爾さんの遅刻が原因などだったと言われていたりしています。
小澤征爾の音楽を聴く会を結成
小澤征爾さんとNHK交響楽団が和解になる前には「小澤征爾の音楽を聴く会」が結成されています。
「小澤征爾の音楽を聴く会」の発起人メンバーも有識者が多いです↓
- 青柳正美
- 秋山邦晴
- 浅利慶太
- 安倍寧
- 有坂愛彦
- 一柳慧
- 石原慎太郎
- 井上靖
- 大江健三郎
- 梶山季之
- 曽野綾子
- 高橋義孝
- 武満徹
- 谷川俊太郎
- 團伊玖磨
- 中島健蔵
- 黛敏郎
- 三島由紀夫
- 村野藤吾
- 山本健吉
- 由起しげ子
石原慎太郎さんなども名を連ねていますね。
世界のオザワのきっかけ
一連のN響事件で日本から海外に拠点を移す気持ちになった小澤征爾さん。
これがまさに世界のオザワのきっかけになった訳です。
順調に日本の指揮者だけやっていたら今の世界のオザワの地位や名誉はなかったかもしれません。
1995年1月23日に小澤征爾さんとNHK交響楽団は32年ぶりに共演を果たして大成功をおさめました。
jwaveモーニングクラシック、小澤征爾特集初日の今朝は、サン=サーンスの組曲「動物の謝肉祭」をご紹介。指揮とナレーションを務める小澤征爾の音楽愛こそが、今に至る日本クラシック界の発展に繋がったことを認識する。#ohayomorning pic.twitter.com/H0m1jn9eGG
— 田中 泰 (@Sputnik_001) March 3, 2024
結局最後は音楽で通じ合えるというのは音楽の良さですね。
お互いに一生懸命本気でやっているからこその当時は衝突だったということですね。
まとめ
以上、小澤征爾さんのN響事件や世界のオザワになったきっかけを紹介しました!
世界のオザワはすごいですね。